宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
藤城清治さんの影絵はほんとに素敵。
🌠
はい、前回の続き。
大人計画の舞台『キレイ』の
感想記事のくせに、
アンパンマンとか宮沢賢治とか、
話逸れまくってます。
にも関わらず読んでいただいている方、
ありがとうございます。
その2も華麗にそれていきます。
華麗に反れてます。
5、ほんとうの幸い
宮沢賢治は私の大好きな作家。
彼の有名な作品『銀河鉄道の夜』の中に、
こんなセリフがある。
「みんなのほんとうの幸(さいわい)の
ためならば、僕のからだなんか、
100ぺん灼いてもかまわない」
美しいが、どこか哀しいセリフでもある。
賢治は、
すべての人の「ほんとうの幸い」のために、自分の身を投げ出すこと、
自己犠牲を美徳としていた。
(実現できたどうかは別として)
「雨ニモマケズ」にもこんな一行がある。
「あらゆることを自分を勘定に入れずに」
そう、
損か、得か。
人間はそうしたものさしで幸せを測る。
それが人間のいやしさである。
ついつい、自分にとって損か得か、という
「損得勘定」をしてしまう。
そう、本質的に人間は
「いやしい」ものなのである。
そんな人間には、自己犠牲など
至難の技だ。
だからこそ、もし、
自分の損など省みず、
自分の儲けよりも、
他人の幸せを大切にできたら……
それは、ほんとうに美しく、
尊いことであるだろう。
自分の損得を勘定にいれないこと。
自分のことを忘れること。
そんな「忘我」の瞬間は、
人間にとって、
そう簡単に訪れるものではない。
しかし、いや、だからこそ、
我を忘れられたら、
その人は、その瞬間だけでも、
幸せなのかもしれない。
6、我を忘れて
そんな得がたい瞬間が、
『キレイ』の登場人物たちにも訪れた。
ケガレとカスミ。
三千円で友達同士になったこの二人。
一幕ラスト、私の一番好きなシーン。
カスミが撃たれそうになるのをかばった
ケガレが、銃弾に倒れる。
人をかばって自分が傷つく。
ケガレにとっては大損である。
しかし、ケガレはいう。
自分は得をした、と。
「だってカスミはあのとき、泣きながら、
私のストレッチャーを、
押してくれたんだもの。
まっさらのいい所だけになって。
カスミの表は全部私のものになって、
とにかく…私は儲けたわ」
そう、カスミは、
ケガレを助けようとする周囲の者たちを
振り払い、ケガレのそばに駆け寄った。
「ケガレに親切にしないで!
私の代わりに撃たれたのよ!私が運ぶわ!
私の代わりに撃たれたんだから、
これは、この親切は、私のものなの!
私の親切の邪魔しないで!」
おそろしく身勝手でわがままな要求である。
しかしまた、
ひたむきで、どこまでも純粋な、
心からの叫びでもある。
カスミは我を忘れて、
「無我夢中で」
ケガレのストレッチャーを押した。
そう、
「無我」なのである。
我を忘れる瞬間は幸せな瞬間だ。
自己の汚い欲望から離れ、
ただただ他人の身の上を心配している。
「自分のことよりも、
他人のことを優先する」という境地に
立っているのである。
自分よりも他人の幸せが大切。
それが純粋な「愛」で、
それこそが「幸せ」なのである。
その時、
確かにケガレは純粋な「愛」を
手に入れた。
だから、確かに「儲けた」のである。
そして、偽善者を自認するカスミも、
その時ばかりは、
頭の中が、ケガレの心配でいっぱいで、
偽りの善行など
さしはさむ余地はなかっただろう。
この瞬間には、
二人とも、自分のことは忘れて、
他人の「得」をひたすらに願っていた。
そう、彼女たちは「忘我」の幸せを手にしているのだ。
美しいシーンだと思った。
🌸
あれ、また長くなった。
その2で終わらせるつもりが…
3、につづく…。( ´゚д゚`)エー!)
無我といえば竹脇無我さん。
彼なしに大岡越前は語れない。
おぐら草紙
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