つづく…といっといて、
ちょっと間があいちゃったけど…💦
長く続いたこの感想記事も、
もう締めくくるぞ。
その3、4を連続で投稿するつもりです。
もし、その1からすべて読んでくださる方がいたとしたら、心より感謝いたします🥰✨
さあ感想その3。
いってみよー!
友人から借りた
『キレイ』パンフレットの写真から。
セットも素敵だったぁ…✨
7、花のように
前の記事で、
自分の欲望、「我」を忘れて、
他人の幸せを願えたら、
それは幸せな瞬間だ、といった。
カスミをかばって
生死をさまよったケガレも、
自分の身をなげうったことで、
カスミが自分のために泣いてくれた、
その瞬間を、
「いちばん幸せだったよ」
といった。
人間にはなかなかできない、
この、
他者の幸せのために
自分の身を捧げるということ。
これ、
「自然」ならできるんですよね。
大豆は食料となって、
私たちのお腹を満たしてくれる。
花は美しく咲いて、
私たちの心を癒してくれる。
そんな花のように、
けなげに生きていくことが
できればいいのに。
そう思うけれど、
小賢しい人間は、
損得を考えるからなかなかできない。
そう、人間は小賢しいのだ。
だから、ダメなのだ。
もっと、「バカ」になれたらいいのに。
「バカ」ではないと、
「無我」の境地には立てないのだ。
このことを、
物語中で象徴的に表していたのが、
おバカな「ハリコナ」(神木隆之介)の
エピソード。
かわいかったなぁ、ハリコナ。
とりあえず、言っておく。
神木きゅんは天使である👼✨
ハリコナはバカだが、
花を咲かすことができる、
という特殊能力を持つ。
その能力で、ケガレを喜ばせた。
しかし、その能力は、
IQ160になると使えなくなってしまった。
バカでも、バカだからこそ、
できることがあるのだ。
8、それはそれ、これはこれ
それでは、どうしたら、
バカになれるのだろう。
どうしたら私たちは、
幸せになれるのだろう。
自分の欲望ばかりを考えてしまう、
浅ましい私たちは。
実は、その答えは、
この『キレイ』という作品の、
作風自体に表れているのではないか、
と思う。
この『キレイ』という作品を観ている間、
とにかく、ずっと楽しかった。
笑ったり、泣いたり、感動したり。
特に、よく笑わせてもらった。
細かい日常を拾い上げて観客の共感を誘う、
ユーモアに満ちたセリフ。
役者の味を存分に活かした笑い。
バカみたいに笑ってしまった。
そうしてまた、
そんな愉悦に酔っていると、
時々、
人生の真理をつくようなセリフが入り、
私の心の深部を射抜く。
これではないか。
これがそのまま、
人生に置き換えられないか。
とにかく、
笑っていればいいのだ。
楽しんでみればいいのだ。
そうして時々、
生きることをじっくりと考えてみれば
いいのだ。
作中でも、カネコキネコ(皆川猿時)が、
うたう歌で、
「それはそれ、これはこれ」
とある。
そうなのだ。
苦しいことがあっても、
ダメなことがあっても、
不完全でも汚くても、
別に構わないのだ。
それはそれ、これはこれ。
不都合なことがあっても、
どこかに置いておいて、
忘れたふりでもして、
とにかく、「この世を見ればいい」のだ。
↑よく見えるらしいね。
その4へつづく。
おぐら草紙
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